少林寺拳法とは
What's SHORINJIKEMPO

「本当の強さ」を育てる少林寺拳法の修行

いくら困っている人を助けたいと思っても、自分が弱ければその人を助けることはできません。 強くなるためには体を鍛えると共に、どんな困難にもひるまずくじけない、不撓不屈の精神を養う必要があります。 「本当の強さ」とは、よりどころとなる自分をつくることです。少林寺拳法は修行によって、この「本当の強さ」を目指します。

拳の技術はあくまでも手段

少林寺拳法の修行は身心ともに健全でたくましい人間になることを目指します。 それを忘れ、ひたすら技のうまさや腕力の強さを競ったり、相手を倒すことだけに熱中したりすることがあってはなりません。 相手を倒すことだけが目的なら、無手の格闘技など必要ありません。武器など道具を使うほうが手っ取り早いのです。 少林寺拳法の技術を修得することにより、素手であっても自分の身を護れるという自信を持つことです。

武としての少林寺拳法

「武」という字には「戈」を「止める」という2字から構成される会意文字です。つまり武は、決して闘争を求めたり、敵を傷つけることではなく、人と人との争いを止め、平和と文化に貢献する道徳的内容を持つところに武の意義があります。 技術を修行することを通じて、肉体と精神ともに健全な自己をつくり、世の中の不正や悪に立ち向かえる勇気と行動力を持った人間をつくる「人づくり」の大道が武道の本質なのです。 「己れを修め、己れに克ち、人を生かして己れも生きる」という、自分のためにも人のためにも、そして世の中のためにもなる道が武道の在り方であり、これを少林寺拳法は目指しているのです

少林寺拳法の「行」の意義

宗道臣は、「行」という字を、人(強い人)が子供か老人(弱い立場の人)を背負ってお互いに向かい合っている姿であると言いました。 少林寺拳法は、強い人が弱い人を助けながら、お互いが幸せに暮らせる社会をつくることを目標にしているのです。 人は決してひとりでは生きていけません。たくさんの人と関係しながら生きています。自分を大切にするのと同じように、自分の周りの人たちも大切にしなければなりません。 つまり、少林寺拳法の修行は、肉体も精神も健全でたよりになる自己をつくり(「自己確立」)、 自分と同じように他人の幸せも考えて行動する(「自他共楽」)ことを目指す、人づくりのための「行」なのです。 少林寺拳法には「半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを」という「自他共楽」を表す言葉があります。 社会の平和と福祉に貢献できる人になることを目指しているのです。